写真展『長い瞬間』出展作品

 早いもので、僕たち澁谷寫友會の二回目の写真展『長い瞬間』が終了して二週間が経ちました。
 今回、僕らがテーマとしたのは「時の移り変わり」あるいは「時」そのものを表現すること。その中で僕個人は、自分の祖父を撮ることに挑戦しました。
 以下、会場に貼り出していたキャプションと併せて掲載します。ご覧ください。

私と祖父の長い瞬間

the long moment / 長い瞬間 / 01

the long moment / 長い瞬間 / 02

the long moment / 長い瞬間 / 03

the long moment / 長い瞬間 / 04

the long moment / 長い瞬間 / 05

the long moment / 長い瞬間 / 06

作品に添えて

 しつこい残暑も過ぎ去り、一日を通してようやく秋らしさを感じることが出来るようになった10月のある日、私は何台かのカメラを抱えて彼の元を訪れた。
 その訪問を恐れていなかったと言えば嘘になる。もっと言えば憂鬱ですらあったかもしれない。何せよ、訪問の半年前に行われた従兄弟の結婚式では、私のことをブライダルカメラマンの一人としか認識していなかった祖父である。あれ以来顔も見せない私を、認知症を抱えた彼が覚えている筈もない。
 いや、祖父自身の年齢や病のせいにはすまい。距離をとったのは他でもないこの私なのだ。敢えて言うならば、不孝者であることの後ろめたさこそが足を遠のかせる要因であったのかもしれない。
 案の定、祖父には私が誰だかわからなかったようだ。カメラを向けてもひどく無愛想な表情を見せるだけである。予想していたこととは言え、少なからず私はショックを受けた。しかしながら同時に私は、せめて祖父が私の顔を覚えてくれるようにと、何度でも訪れることを胸の中で誓った。
 それから私が孫であることや写真を趣味にしていることなどを訪問のたびに説明するような日々が始まった。思えばそれは、いつしか開いてしまった私と祖父との距離を埋めるある種の作業であったのかもしれない。願わくば、私の名前を苦労せずとも思い出せるようになってくれ、と。願わくば、私のこの手で祖父の存在をいつまでも残しておけるように、と。
 生きとし生けるものは皆全て、いつかその命を終える。それゆえ、すべての瞬間は皆等しく尊い。私は幸いにしてそれらの一つ一つを留める術と機会を持ちえた。写真だ。過ぎ去った日々を取り戻すことは出来なくとも、やがて遠い日々となるであろう今を残すことは出来る。私にはそのための道具があるのだ。
 あるいはそれはのこされる者の身勝手な想いなのかもしれない。しかし私はもはやシャッターを切る手を押さえることが出来ずにいる。少し気恥ずかしい気もするが、使命感に駆られていると言っても良いだろう。また、何より祖父と過ごす時間は私とって心地の良いものであり、おそらくは私が訪れると笑顔を見せてくれるようになった祖父にとってもそれは同じなのだと信じたい。
 いつしか、祖父と私を彼岸と此岸に分かつ時が来るだろう。私は、その岸辺で祖父を見送るその日まで、彼を写真に撮り続けようと思う。二度と埋め戻すことの出来ない絶対的な距離が私と祖父とを阻むとしても、私たちが過ごした長い瞬間はいつまでも続くだろう。

使用機材など